ご遺骨を韓国のご遺族に届けよう - Introduction.

 戦争の時代、戦場で、空襲で、あるいは労働を強いられ、日本人310万人、アジアの人々は2000万人以上が戦争によって命を奪われました。

 21世紀のいまも無数の遺骨がふるさとへ帰ることなく、異郷の地に残され続けています。

 北海道には戦時下の労務動員により過酷な労働を強いられ、死に至らしめられた朝鮮人、中国人、日本人タコ部屋労働者の遺骨が仏教寺院や埋葬地に残されてきました。

 1970年代からの民衆史掘り起し運動により、犠牲者の遺骨発掘が始まりました。同時に、市民の手による遺族探しによって、半世紀以上のときを経て、生死すら知らされずにいた日本人、韓国人のご遺族にご遺骨を手渡すいとなみが続けられてきました。

 しかし、今もご遺族に届けきれない多くのご遺骨が各地の納骨堂に残され続け、いつか故郷に帰る日を待ち続けています。

 アジア太平洋戦争の終結から70年になる今年9月、私たちは日本と韓国の市民の共同のもとで、つぎのご遺骨を韓国に奉持し、ご遺族、市民と共に追悼し安置する旅にまいります。


 このたび捧持されるご遺骨は、


・本願寺札幌別院に残されてきたご遺骨のうち、韓国出身者

71体分
・旧三菱美唄炭鉱犠牲者のうち常光寺に安置されてきた韓国出身者 6体
・朱鞠内雨竜ダム建設工事犠牲者、旧光顕寺に安置されてきたご遺骨 4体
・旧浅茅野日本陸軍飛行場建設犠牲者、浜頓別天祐寺に安置されてきたご遺骨 34体
  計115体

70年ぶりの里帰り 遺骨奉還団

 10日間、3,500km の旅

浅茅野(天祐寺)=朱鞠内(旧光顕寺)=多度志(一乗寺)=美唄(常光寺)=札幌(本願寺札幌別院)=東京(築地本願寺)=京都(西本願寺)=大阪(北御堂・津村別院)=広島(本願寺広島別院)=下関(光明寺)=関釜フェリー=釜山=ソウル市庁前広場=ソウル市立追慕公園

 ご遺骨奉還の道程は、戦時下に労働者の多くが朝鮮半島から北海道へと連行された道を逆に故郷へと戻るものです。総行程3500km、10日間の旅では、ご遺骨を運ぶ奉持団の車列が陸路を進み各地において犠牲者の通夜(追悼の夕べ)を過ごしつつ、玄界灘を渡ります。釜山からソウルに至り、ご遺族と多くの市民と共に合同葬儀を執行の後、ソウル市公立追慕公園に安置されます。

 この遺骨奉還の旅は、若者の未来を奪ってきた70年前の戦争と植民地の時代に決別し、失われた命の軌跡を辿り、アジアの平和な未来を切り開いてゆく旅でもあります。 

 どうぞ、この70年ぶりの里帰りに、二度と戦争を繰り返さない決意のもと、多くの皆さまの同行とご支援を呼びかけます。

 

2015年8月  

  

強制労働犠牲者追悼・遺骨奉還委員会