70年ぶりの里帰り - Home Coming.

今回奉還されるご遺骨について(札幌・美唄・朱鞠内・浅茅野)


札幌 - Sapporo

  • 本願寺札幌別院に残されてきたご遺骨のうち、韓国出身者分  71体分
  • 場所 本願寺札幌別院(浄土真宗本願寺派) / 納骨堂
  • 来歴 北海道・千島等で死亡した朝鮮・日本・中国等出身者の遺骨

戦中、戦後に地崎組(現・岩田地崎建設)等の道内土建業者によって、札幌別院に預けられた遺骨。

別院が保管する「遺骨遺留品整理簿」により、犠牲者の氏名(創氏改名あり)、本籍、使役企業などが判っている。

ながく別院が保管してきたが、1990年代に遺族の許可を得ずに誤って合葬されたため、遺骨そのものの個別性が失われてしまっている。

本願寺札幌別院は2002年に遺骨をめぐる事実を公表し、遺族への謝罪と将来の遺骨奉還を表明している。

別院輪番による公表会見

納骨堂に安置されるご遺骨

韓国から来道されたご遺族


強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラムには数多くの市民が参加。

本願寺札幌別院による追悼法要

来道されたご遺族と企業、別院の対話



美唄 - Bibai

  • 美唄常光寺に安置されてきた韓国出身者ご遺骨        6体
  • 場所 浄土真宗本願寺派常光寺(美唄市東明) / 納骨堂
  • 来歴 三菱美唄炭鉱などで死亡した韓国(朝鮮半島南部)出身者の遺骨

戦時下の増産体制で出炭量ピークを迎えた美唄の各炭鉱では、朝鮮人労働者も5000人弱が動員されていた。三菱美唄炭鉱は全国4位の規模で、三菱財閥の中核に位置付けられていた。

戦争末期には深刻な労働力不足から朝鮮人、中国人、連合国捕虜も強制労働に従事させられ、多くの犠牲者を出している。

1941年の坑内ガス爆発事故では通洞坑入口が注水封鎖され、現在も53人(うち朝鮮人14人)の遺体が地中に残されたままである。

常光寺は三菱炭鉱の寺院として、坑内外の死者の弔いと共に、件の坑内事故犠牲者のご遺骨を大切に安置されてきた。戦後、炭鉱閉山によって現在地に移転した後も、歴代住職により犠牲者の来歴が語り継がれてきている。

骨箱には死亡日、本名(一部は創氏改名)が記録され、大切に保管されてきた。



朱鞠内 - Shumarinai

  • 朱鞠内雨竜ダム建設工事犠牲者から             4体
  • 場所 旧光顕寺・笹の墓標展示館 / 幌加内町朱鞠内
  • 来歴 雨竜ダム建設工事で死亡し、共同墓地周辺から発掘された遺骨

王子製紙によって設立された「雨龍電力株式会社雨竜ダム」は、1938年に着工、43年に完成。当時、東洋一の人造湖とされた。戦時下の「雨竜ダム」工事と、名雨線鉄道工事には多くの労働者が従事させられ、日本人タコ部屋労働者や朝鮮人労務動員の犠牲者は判明しているだけで200人を超す。これらの実態調査は、1976年から空知民衆史講座が中心になって行われ、東アジア共同ワークショップ(2001年まで日韓共同ワークショップ)によって1997年、2001年と日本、韓国、在日朝鮮人の若者たちによる遺骨発掘を実施、朱鞠内共同墓地の周辺から20体をこす犠牲者の遺骨が発掘された。

 

犠牲者が弔われた真宗大谷派光顕寺は、のちに「旧光顕寺・笹の墓標展示館」と名称を変え、民衆史掘り起し運動と強制労働の実態をいまに伝える歴史資料館として数多くの来館者を集めている。

現在、発掘遺骨とともに、犠牲者の位牌などが同寺に大切に保管され、位牌の一部や発掘の副葬品などが写真パネルと共に展示公開されている。





浅茅野 - AsaJino

  • 旧浅茅野日本陸軍飛行場建設犠牲者のご遺骨から        34体
  • 場所 曹洞宗天祐寺 / 宗谷郡浜頓別町
  • 来歴 陸軍飛行場建設で死亡し、旧共同墓地に残された韓国人犠牲者の遺骨

戦時下の猿払村浅茅野(あさじの)では、朝鮮人強制労働や囚人労働、タコ部屋労働等によって、日本陸軍の飛行場建設が急がれていた。過酷な労働と粗末な環境下で集団発生した発疹チフスにより、多くの死者が出た。朝鮮人犠牲者のうち身元が判明している者は85人(『猿払村史』)だが、犠牲者の総数は300人とも400人(本多勝一『北海道探検記』など)とも言われてきた。

2005年、旧共同墓地の試掘で発掘された埋葬遺体は労働着を身に着けており、朝鮮特有のパルサゲ(朝鮮式の地下足袋)も出土。遺骨に残る疲労痕などから、朝鮮人労働者の遺骨と推定された。翌2006年、2008年、2010年と3度の遺骨発掘は、地元浅茅野自治会や村役場、村民有志の協力のもと、曹洞宗、北海道フォーラムなどが加わった発掘委員会により、日本人、在日コリアン、韓国、中国など東アジアの参加者と共に「東アジア共同ワークショップ」として遺骨発掘が実施された。

発掘遺骨は推定で34体以上となり(火葬骨を含む)、発掘を支援した曹洞宗天祐寺に仮安置され、遺骨返還の日を待つこととなった。今回、身元が判明した犠牲者遺族などの要請により、祖国の地へ遺骨が奉還されることとなった。