70 years too late - 遺骨奉還ブログ

our record of the journey with the remains of those who suffered forced and indentured labour

11日からはじまる「70年ぶりの里帰り」の旅を、リアルタイムでレポートします。日々の更新にご注目下さい。

70 years too late

もう寂しくないから (日, 20 9月 2015)
長がった里帰りと追悼の旅が終わり、ご遺骨をパジュのソウル市立墓地に安置する日が来ました。 その日、私たちは早朝5:00から聖公会聖堂の納骨堂に仮安置されていたご遺骨を迎えに行きました。 これまで発見されたご遺骨のなかでも焼ききれていなかったものを火葬するためです。 戦時中、強制的に過酷な労働を負わされ命を亡くした犠牲者たちのなかには、人間の尊厳が保たれた葬礼を受けられなかった方々もいるのです。 酷い場合は浅い穴の中に3人もが重なって埋められてあったり、現在の私たちには想像もできないほど、当時の状況は悲惨だったのでしょう。 火葬も終わり、私たちは一つづつきれいに包んでもらった骨壺を大事に抱いてソウル市立墓地に行きました。 そこには今回帰られた115人の犠牲者とこれから帰郷することとなる犠牲者のための、立派な居場所が用意されていました。 犠牲者のご遺骨が安置されるのを待つ数時間の休息は、ご遺族や参加者からジャーナリストなどこの旅に関わってきた様々な人々が犠牲者との出会いを振り返る機会でもありました。 この日から一週間後は韓国の旧お盆で、パジュの墓地は親族に会いに来た家族で賑やかでした。 親族の墓地や納骨堂の前で談笑を楽しむ家族もいれば、広場でお弁当を広げて一休みを取っている家族もいました。 その光景は、犠牲者たちの新しいお家に人の温もりが伝わっていることを教えてくれて、私たちをホッとさせてくれました。 彼らはもう寒い北の地でさみしい思いをしなくても良いのです。 これから彼らには強制労働犠牲者のご遺族や私たちという家族がいつでも会いに行ける場所ができたから。 こうして115人のお祖父さんたちが北海道を離れ新しいお家に辿り着けたのはとても嬉しいことです。けれども、まだ犠牲者のご遺骨が日本各地に埋められているのを考えると安堵するだけにはいられません。 9月20日、70年以上もかかった帰郷のはじまりが終わりました。 忘れられている人々の、過去の掘り起こしはまた続きます。
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辺境からど真ん中へ (日, 20 9月 2015)
韓国での2日目には報告会と葬儀が準備されていました。 報告会では、どういう経路でご遺骨が見つかり、鑑定されたのか、また今回の遺骨奉還に至るまでの道のりが説明されました。 発表者たちの報告からは、犠牲者の過去を掘り起こすことに不可欠な苦労と哀しみが伝わってきました。 報告会に訪れた多くの人びとが植民地支配と戦争が残した課題を共有した瞬間でした。 同日の夕方にソウル支庁前の広場で行われた盛大な葬儀では、115人のボランティアが犠牲者たちのご遺骨をステージに招きました。 70年をかけて、やっと、首都ソウルの真ん中で犠牲者たちの無惨な死が想起され追悼されました。 韓国と日本の宗教人、アーティストやムニョ(韓国の巫女)、そして学者やソウル市長までが彼らの里帰りを歓迎し、彼らの犠牲を心に刻みました。 この葬儀の喪主は、115人の犠牲者のご遺族であると言えるでしょう。 月日が経ってしまったせいでご遺族全員は探せなかったのですが、いくつかのご遺族とはご縁ができ、葬儀にも参加していただきました。 そのご遺族のうちには、今回やっと家族の行方を知ることができた方もいれば、私たちの運動に10年以上も付き合ってくださった方もいます。 そのご遺族たちの瞳に、母国にさえ忘れられていた犠牲者たちにようやく光が照らされているステージの光景は、どのように映っていたのでしょうか。 式中、終始続いたご遺族たちの沈黙は、彼女・彼らの複雑な心境をあらわしているかのようで、過去が続いていることを気づかせてくれました。
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70年ぶりの里帰り (土, 19 9月 2015)
昨夜の荒れた波打ちが嘘に思われるほど平穏な水面を眺めながら、私たちは犠牲者たちが70年ぶりに故郷へ戻ることとなる朝をむかえました。 ご遺骨とともに韓国の地を踏むまでは休めないと思っていた参加者たちも、釜山についてやっと安堵の気持ちを味わうことができました。 70年も忘れられていたご遺骨の里帰りが、現在の私たちの心情をどれほど揺らがしているのかは、釜山の港でご遺骨を待っていた幾多のカメラのフラッシュが知らせてくれました。 犠牲者たちの里帰りは、海の両側の人びとにとって、とても待ち遠しかったのでしょう。 釜山では現在の港と、犠牲者たちを送っていた昔の港の跡地で鎮魂祭が行われました。 白いハンボクのムダン(韓国の巫女)たちの、かなしみの染み付いた踊りをながめながら、私たちは韓国にたどり着いたことを実感しました。 鎮魂祭の余韻に浸りながら、私たちは再びソウル行きのバスに乗りました。 所々で警察の護衛を受けていたにもかかわらず、私たちは1時間も遅れてソウル市中心部にある聖公会ソウル主教座聖堂に着きました。 70年の歳月に比べれば1時間はあっという間に感じられたのでしょう。聖公会の神父たちは犠牲者を追悼するミサをひらき、遅れてしまった里帰りを追悼してくださいました。 ミサのあと、ご遺骨は聖公会の納骨堂で仮安置されました。 仮安置であっても、70年ぶりに韓国の地で眠れたことが、犠牲者たちにすこしでも安らぎとなってくれたらと願いながら、私たちは韓国での初日を終えました。
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海の向こうに (金, 18 9月 2015)
  日本での最後の追悼法要は、朝鮮半島を離れた人々が最初に足を踏んだといわれる、下関港近くにある光明寺というお寺で行われました。 光明寺では五色の色彩に彩られた飾り旗が私たちを招いてくれました。下関にまで辿り着いても朝鮮半島に帰れなかった人々が多かったからでしょうか、光明寺には所々に朝鮮の伝統的な屋敷を思わせる面がありました。どこか懐かしき雰囲気に包まれて、115人の犠牲者たちも故郷が近くなってきたことに気づいたのではないでしょうか。 他の場所と同じく、下関の追悼式にも様々な訪問客が私たちを見送ってくださいました。地元の関係者や在日コリアン、日本人の政治家と市民活動家は言うまでもなく、遠くは韓国ウルサンからフィールドワークに来ている人々もが、戦時中の過去を心に刻んでいました。見送りは追悼式で終わらず、私たちを韓国につれていく関釜フェリーが待っている港にまで続きました。亡くなられた115人がやっと日本を離れることを、その目で見届けたかったのかもしれません。 ようやく日本の地の呪縛からはなたれた犠牲者たちと私たちを乗せたフェリーは夜が更けるにつれ激しい波にさらされるようになりました。 ゆらぐ波は、彼らの、やっと故郷へ帰れることに対する喜びと、70年もかかってしまったことに対する怒りをあらわすかのようでした。
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傷跡が教えてくれること (水, 16 9月 2015)
16日の朝、またねーっと手を振る大阪の仲間たちに告別をした後、私たちを乗せたバスは広島へと走りました。 原爆ドームという生々しい戦争の傷跡を通り過ぎて向かった広島別院では、私たちが担っている課題をもっと広い視野から考える場が準備されていました。 16일 아침은, 오사카 멤버들과의 다음의 만남을 기약하며 우리들이 탄 버스는 히로시마로 달려갔습니다. 원자폭탄이 남긴 전쟁의 흉터를 지나쳐 도착한 히로시마 별원에는 우리들의 과제를 좀 더 넓은 시야에서 생각할수 있는 장소가 마련되어 있었습니다. 広島の追悼法要実行委員会は、北海道と広島において、草の根のさまざまな努力がどのように強制労働という歴史的問題に取り組んできたのかを紹介してくださいました。また、意見交流の部では、高校生から市議会議員まで、地元で頑張っている様々な住民の声を聞きながら、北海道での活動を振り返ってみることができました。広島の方々との交流は懇親会にまで続き、私たちは美味しい料理と素敵なチャンゴ演奏を楽しみながら平和と和解について語り合いました。 히로미사의 진행위원회는 북해도와 히로시마의 풀뿌리 운동이 어떻게 강제노동이라 하는 역사적 문제를 생각해왔는지 소개해 주셨습니다. 행사 2부에 마련된 의견교류부에서는, 고등학생에서부터 시의원까지, 다양한 … Continue reading 傷跡が教えてくれること
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関西、日本でのふるさと (火, 15 9月 2015)
15日は関西で2回の追悼会を設けてもらえました。 まずは世界文化遺産でもある京都の西本願寺の阿弥陀堂で。70年も待たせたことのお詫びをつげる捧持団の共同代表の言葉は多くの参加者の心に響きました。 涙をながす参加者たちと同じく、私たちは1日でも早く犠牲者たちを故郷へお迎えしたいと願いました。 それから訪れた大阪の津村別院では関西の皆さんが心のこめた追悼会とレセプションで私たちを迎えてくれました。 特に印象深かったのは、日本式および韓国式仏教から、円仏教、キリスト教、韓国式のチェサまで、多様な宗教儀礼で追悼が行われたことです。 異なる他者と共に生きるとは、こういうことじゃないでしょうか。さまざまな文化が共生する大阪ならではの追悼式でした。 いずれのお寺でも、次々と仏壇の前に並べられる115人のご遺骨が入った棺桶は、命の重さを伝えてくれました。 その重さははじめてご遺骨に対面する人々だけでなく、過去の掘り起こし運動に長年間関わっていた人々にも響いてると思います。 それ故に、多くの参加者たちが日本各地の追悼会に参加したり、また捧持団の旅に合流したりするのだと。 こんなにもやさしくて、まじめな人々とともに時間を過ごせるのは幸せなことです。 関西のみなさん、あいしてるよ!
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遺骨捧持団、本州にてますます力を得る (火, 15 9月 2015)
9月14日、私たちとご遺族は本州に着き、東京築地本願寺で宗教者と学者、そして市民たちが設けてくださいました追悼会とレセプションに参加しました。関東ではさまざまなご縁で出会えた仲間たちに歓迎されました。犠牲者たちのおかげで私たちはつながり続けています。戦争のなきがらは、犠牲を通して反省だけではなく、友情を育む機会をあたえてくださっています。 実は、法要のあとにもう1回絆を確認する機会がありました。この夜、ご遺骨を掘り起こしながら戦争の怖さを体験した私たちのうち、若者6人はこれ以上の犠牲者が増えないことを願いながら国会議事堂前のデモに参加しました。 警察とずっと睨み合っているうちに、政府の無茶振りで遅い夜まで働かせている若い男の人たちが可哀想に見えてきました。もし日本が再び戦争に巻き込まれたら、彼らは真っ先に危機にさらされるのでしょう。しかし、彼らの命も大切です。と思ったら、叫ばずにはいられませんでした。 「もし戦争が起きたら、国なんか阿部なんかじゃなくて、ちゃんと自分をまもってください。生きて、死なないでください。あなたの亡骸を誰かに掘り起こさせないでください。」
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北の地に来てみて (月, 14 9月 2015)
昨日、9月13日は美唄の常光寺に参り6人の犠牲者をお迎えすることから始まりました。常光寺に安置されていたご遺骨には、今回はじめて参加されたご遺族のご親族も含まれています。祖母が生きているうちに1回も愛していると伝えなかったことを悔やみながら、やっと叶えられる里帰りが少しでも祖母の慰めとなるようにと、ご遺族は願いました。 続いて本願寺札幌別院では、たくさんの来賓客やメディア関係者の注目をあびながら、71人の犠牲者の追悼をしました。残念なことに、ここのご遺骨は誤って合葬されたため、個別性を失くしてしまいました。犠牲者のみを判別するのは無理だけど、それでも北の地で悲痛な運命に遭った方々を故郷へお迎えするために、私たちはご遺族の同意を得て、合葬されたご遺骨のうちの韓国出身者とともにソウルへ向かうことにしました。法要ではこの現実を目にしながら、別院に叔父のご遺骨が安置されていたご遺族のひとりの気持ちをうかがう機会がありました。ご遺族はいまにも日本と韓国の政府、そして企業が責任を果たしていないことを叱り、また合葬に対する謝罪を聞けなかったことを悔やみました。それと同時に、ともに過去を反省し戦争のない未来を開こうと努力している日本と韓国の市民の皆さんを感謝しながら、励ましの言葉も述べてくださいました。 決して今回の奉還でご遺骨をめぐる問題や葛藤の全てが解決されるのではありません。されど、この旅を通して私たちのつながりがさらに強くなり、また新たな出会いをもたらしてくれます。そうやって力を得ることによって、私たちは頑張り続けられるのです。 別院の法要後、私たちは次の日に帰国するご遺族にお別れを告げました。ご遺族のひとりはバスを降りる私に、「サランヘヨ(愛してるよ)」っとそっとつぶやいてくれました。こんなに厳しい旅だと知ったら来なかったーとぽろっと言っていたおばさんです。また、別院の階段を下りながら「実際に来てみて本当によかったよ」とも言ってくれたおばさんです。 「サランヘヨ」 たくさんの愛を持って東京に向かっています。
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さようなら北海道 (月, 14 9月 2015)
ただいま東京へ向かっている遺骨奉還団はフェリーの上で朝を迎えております。 今日は東京で法要を開催されます。 18:00 築地本願寺【市民による追悼会】 東京都中央区築地3-15-1 やっと北の地を離れることができた犠牲者の方々と、本州の皆さまがお会いできることを楽しみにしております。 (9月13日の記録はネットのつながり関係で後ほど!)
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Past and present, and us (日, 13 9月 2015)
Today we had two bitter, delightful meetings with the past. Early in the morning, we visited the sites of forced and indentured labour in AsajinoThough the lush green shoots hid the traces of the tragic fate suffered by these victims, we couldn’t stop being awed by the fact that where almost a hundred people passed away … Continue reading Past and present, and us
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